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ヨーロッパの絵画の歴史 No.2


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【エッグ・テンペラ※10=テンペラ・マグラの登場】
−イタリアのゴシック  13世紀−

 テンペラ画は水性で、乾いた明るい色調と、描き方はハッチング※11という雨降り模様で描く描線の美しさが、その特徴である。 その歴史は、紀元5~6世紀、ロシア イコンの宗教画まで遡る。当時は、修行の一つとして信仰の対象である聖画を描き、複数の僧侶が分担して一つの画面を描いており、個人の作品としての認識がない時代だった。ビザンティン様式の影響が、まだ強く残っていたイタリアでは、13世紀後半から、経済の発達によって、裕福な貴族や商人が現れて、その庇護のもと、テンペラは次々と新たな表現の絵画を生み出していった。その後も長い期間、絵画の主役となったのである。
ジョットは、西洋美術史における「絵画の時代」の出発点といわれる。
それまで建築物に描かれていたフレスコ画から、晩年には建築物から独立した板絵にテンペラ画が描かれるようになった。
シエナでは、ドゥッチョやシモーネ・マルティーニ、ロレンツェッティ兄弟が優美さや繊細な装飾が特徴の作品を残した。金箔との相性も良く、併用した絢爛豪華な作品も数多くある。








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【テンペラ・ミスタ※12 油性バインダーの登場】
−卵テンペラと油の重層技法 初期フランドル派 15世紀−

 フランドル地方も古代から生育していたフラックスシード※13を食用として採取していた。その種を潰して得られたものが亜麻仁油で、ヤン・ファン・エイクらによってに加工されて、絵画用の油性バインダーとして使用した。油性絵具は、水性に比べて乾燥しにくいため、ぼかすことができ、より写実的な表現となった。そのため、後に油彩画は、テンペラにかわって西欧絵画において広く用いられることとなった。
 このテンペラ・ミスタという技法は、画肌の明るさを残しながら、まず、テンペラで下層を描き、その上層には油彩層を重ねるというテンペラと油彩の重層構造による併用技法である。油による画面はしっとりとした濡れ色になり、そのグレーズ※14による発色の美しさは、現在においても特筆に価する。







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【テンペラ・グラッサ※15】
       −卵と油を混ぜたテンペラ・バインダー

 油性バインダーは、アルプスを越えてイタリアへと流出していった。15世紀、ルネッサンス期になると、卵黄のバインダーに加える油性分の量を調節することで、画面の発色を明るく、または、暗い濡れ色にすることもできるようになった。これをテンペラ・グラッサといい、伸びのあるバインダーで描きやすく、テンペラ画の中で最も堅牢性が高い。仕上げの最終ワニス※16の効果が描画中から確認しやすいという利点もある。その代表的なものはボッティッチェリの「春」や「ビーナスの誕生」などである。ボッティッチェリの晩年の作品が暗い傾向にあるのは、テーマの変化と共に、油性分をやや多めに調整をしたからである。








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【テンペラと油の並置】
−フィレンツェ派  16世紀−

 ルネッサンスを代表するラファエルを中心とするこの一派は、明暗をはっきりと美しく発色させるために、明るい色調になる卵黄テンペラは明るい部分へ、そして、沈んだ色調になる油絵具は暗い部分へと、それぞれのバインダーを、画面を分割しながら別々の場所に描いていった。最終的には上から油でグレーズして全体を調和させて完成した。一方レオナルド・ダ・ヴィンチは、卵黄テンペラでグリザイユ※19の下描きをし、黄土系のインプリマトゥーラ※20を施した上に、不透明な油絵具を薄く指で伸ばしながら、スフマート※21効果を表現した。何層も積層構造を形成しながら、はっきりとした、明暗表現のリアルな質感や空間表現を可能にしたのである。










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【油性バインダーの流布】
−ヴェネツィア派 16世紀−

ヴェネツィア派の使用するバインダーは、それまで使用していた樹脂よりもむしろ油を多用した。絵画は、それまで支持体※17を木板に描かれていたが、湿度の高いこの土地では、木板の反りやその重量が問題となっていた。そこで、当時、ヴェネツィアは海上交易が盛んであったことから、帆船の帆を使うキャンバス画が登場した。木枠にキャンバスを貼って絵を描くスタイルがここから始まってより大作が描かれるようになって、やがてイタリア全土へと広がり、今日の油彩画の基本がここで出来上がった。地塗りは石膏のかわりに小麦粉を胡桃油で練り、それに鉛白を適量加えたペーストをナイフで何層にも塗られた。暗褐色の下地に明るい色調を置いてゆきながらインパスト※18が試みられている。










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【テンペラと油の併用】

      −第2フランドル派 バロック期 17世紀−
 ルーベンスは、絵具を層状に重ねる、重層構造のフランドルの伝統技法に加えて、イタリア絵画を探求し、色と形を一回区切りの筆の動きで表現する伝統を身につけた。テンペラから油彩、すなわち水性から油性の絵具を巧みに併用して、不透明な塗りと透明な塗りを交互に重ねて、考案した彩色方法と、多くの注文にも対応できる工房システムを作り上げ、弟子たちと共に、大量の作品を描き上げたのである。また、当時の化学ともいえよう、卑金属を金に変性しようとする錬金術師の影響も受けた。乾燥を早めるために油に金属を加えたり、加熱した加工油も考案され、再び樹脂も多用された。



          No.3へ続く











by johanesvermeer02 | 2018-12-02 18:46 | 絵画
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